何の予備知識がなくても、誰もが見る度に驚嘆し、言葉にならない感動を覚えるリバーダンス。シンプルで鮮やかな色彩のコスチューム、ブロードウェイも認める洗練されたステージング、民族楽器をふんだんに取り入れたライブ演奏とダンスの競演、そしてアイリッシュ・ダンスとアメリカ黒人のタップやスペインのフラメンコ、ロシアのコサックとの融合……などと楽しみは尽きないが、その現代的なステージの魅力の裏にはアイルランドの誇るべき伝統と文化が込められている。
(ダンス)
上半身を直立させたまま、脚だけを動かしてタップを刻むユニークな踊りは厳格なアイリッシュ・ダンスがベースになっている。この独特の踊り方はイギリスの植民地時代にアイルランド人が自分たちの剥奪された文化を忘れないために、イギリス人に見破られないよう下半身だけを動かしてステップを継承していたためだという。
アイルランドでは3、4歳のころから習い始めるのが普通で、毎年ワールド・チャンピオンシップも開催されている。リバーダンサーはアイルランド国内だけでなく、アイルランド移民の多いアメリカやカナダ、オーストラリアなどの各国でアイリッシュ・ダンスを学び、ワールド・チャンピオンシップを勝ち抜いたトップクラスのダンサーばかりである。
(音楽と文学)
音楽と文学の国としても知られるアイルランド。どこか懐かしい感じの音色に和まされる縦笛やイーリアン・パイプ(バグパイプに似た楽器)、バウロン(タンバリンのような形をしたパーカッション)、そしてアイルランド音楽に欠かせないフィドル(ヴァイオリン)などの楽器を用い、11人編成のオリジナルバンドがステージで奏でる躍動感あふれる音楽はアイルランドの伝統音楽をモダンにアレンジしたもの。また、天井から降り注ぐような美しい女性ソプラノで歌われる詩は、アイルランドの国民的詩人・劇作家でありノーベル文学賞を受賞したウィリアム・バトラー・イエ―ツに触発されたものだ。
詩と楽曲を担当したビル・ウィーランはアイルランドの伝統を強く意識しながらも、よりダンサブルで世界中の人々に訴えかけることのできる新しく革新的なものを目指した。
(古代ケルト文明)
アイルランド国内にはハイクロス(ケルトの十字架)が数多く残り、それ以前の巨石文明の遺跡とともに、いくつかは世界遺産に指定されている。ケルトの宗教観は自然信仰で太陽が大きな意味を持っていたとされ、合理主義的な他のヨーロッパとは一線を画し、精神性を重視していたようだ。現在も妖精伝説が語り継がれ、人々の心の中に生きている。
また、ラテン語で書かれた福音書「ケルズの書」や金細工などに見られる渦巻き文様や人、動物などの装飾的芸術は高度な文化を持っていた証とされ、アイルランド人はケルトの思想や精神、文化に誇りを持っている。
〈リバーダンス〉では舞台のスクリーンや演目のモチーフに多くのケルト文化のアイデアを盛り込んでいる。
(移民の歴史)
19世紀半ばのジャガイモ大飢饉で100万人が餓死するという悲劇が起こったとき、100万人もの人々がアメリカに移民したことはあまりにも有名だが、そのとき以外にも19〜20世紀にかけて主に政治や経済的な事情からアイルランド人はヨーロッパや北米、オーストラリアなどへ移民を繰り返した。アイルランドの近・現代史は移民の歴史でもある。
〈リバーダンス〉はそうした別離と悲しみを演目に取り上げるだけでなく、移民たちがたどり着いた世界各国の異国の地で初めてであった魅力的な文化――アメリカ黒人のタップダンス、スペインのフラメンコ、ロシアのコサックなど――が対立から融和へと向かうさまをアイリッシュ・ダンスとの比較と融合で見せるという、画期的な試みがなされている。
(アイリッシュ・ソウル)
プロデューサーのモイヤ・ドハティー、ジョン・マクローガン、音楽家ビル・ウィーランはこうした歴史や伝統、文化のすべてに「決して諦めない」アイルランド人の強靭な精神と、つねに新しいことにチャレンジする挑戦精神を読み取り、そのアイリッシュ魂のすべてを注ぎ込んだ、これまでにない、全く新しい、革新的なダンス・エンタテインメントを誕生させた。そして、それが「川のように大地を流れ、海をわたり、世界中へ広まりますように」という夢を乗せて、〈リバーダンス〉と名づけた。
【リバーダンスの軌跡】
| 1994年4月 |
ヨーロッパ最大の音楽祭〈ユーロビジョン・ソング・コンテスト〉でリバーダンスの原型が幕間の余興としてTV放映され、大反響を巻き起こす。 |
| 1995年2月 |
「リバーダンス〜ザ・ショー」がダブリンのポイントシアターで初演。アイルランドの興行記録を塗り替える。 |
| 6月 |
ロンドンで初の海外公演。大絶賛を浴び、以後ヨーロッパ各地で公演。大成功を収める。 |
| 1996年3月 |
NYのラジオシティ・ミュージック・ホールで初のアメリカ公演。 アルバム『リバーダンス〜ミュージック・フロム・ザ・ショー』がビルボードのワールド・ミュージック・チャートでNo.1に輝く。 |
| 1997年2月 |
アルバム『リバーダンス〜ミュージック・フロム・ザ・ショー』がグラミー賞最優秀ミュージカルショーアルバムを受賞。 |
| 5月 |
プロデューサー、モヤ・ドハティーが97年のヴーヴ・クリコ・ビジネスウーマン・オブ・ザ・イヤーを受賞。 |
| 9月 |
通算1000回公演を達成。 |
| 1999年3月 |
初来日公演。 |
| 2000年3月 |
「リバーダンス〜オン・ブロードウェイ」がガーシュイン劇場で始まる。18ヶ月のロングラン公演。 |
| 11月 |
2度目の来日公演。 |
| 2001年9月 |
9/11の悲劇を悼みツインタワー基金に7万ドルを寄付。 |
| 2002年7月 |
モヤ・ドハティー、アルスター大学から名誉博士号を授与される。 |
| 2003年6月 |
ダブリンで開催されたスペシャル・オリンピックスで特別披露。 |
| 10月 |
3度目の来日公演。 |
| 2004年6月 |
ダブリンで135年の歴史を誇るゲイエティ劇場で公演。劇場の興行記録を塗り替えた。 |
| 2005年1月 |
全米、ヨーロッパでツアーが始まる。 |
| 10月 |
4度目の日本公演が6都市で開催。 |
| 2006年2月 |
リバーダンスの4度目のロサンゼルスでのオープン、満席と熱烈な歓迎、ゲストにはSCARLETT JOHANSSONやHUGH JACKMAN等のセレブも含む。 |
| 6月 |
POLLSTARの2005トップ100ツアーのランキングでリバーが8位にランク、U2やELTON JOHNと並んでトップ10入り。
3度目の夏シーズンでGAIETY THEATER DUBLINでの演奏、去年より2倍の先行予約。 |
| 11月 |
7度目のUKツアーのチケットが発売。 |